こんにちは。
棚ぼた開運コンサルの理梨映です。
「何も置かれていない
空の家を想像してください」
もし、そう言われたとき、
どんなイメージが浮かびますか?
『これから入居する空の家』を
思い浮かべる人もいれば、
『全ての荷物を出し終えた空の家』を
思い浮かべる人もいるでしょう。
不思議ですが、同じ“空”でも
その空気感って違うものです。
前者は、
期待や可能性に満ちた空。
後者は、
たくさんの時間と記憶を経て
静かに落ち着いた空。
これって、人生と同じだと
私は思うんです。
私たち人間は、
何も持たずに生まれて
何も持たずに生を終えます。
その間にあるものは、
『持ち物』や『思い込み』を増やす前半、
そして、どこかのタイミングから
『持ち物』や『思い込み』を減らす後半。
まるで、登山のように
頂上を目指す上りと
頂上からの下りがあるんです。
だから、同じ高さにいる人でも、
上がってる途中の人と
降ってる途中の人がいるということ。
登山道の入り口にいるように見えて
出口にいる人もいれば、
登山道の出口にいるように見えて
入り口にいる人もいるのです。
つまり、
『思い込み』がない人と
『思い込み』がなくなった人がいるんです。
同様に、
『捉われ』がない人と
『捉われ』がなくなった人もいます。
では、今の自分はどうでしょうか?
同じ高さ、同じ景色に見えても、
そこに立っている“私”は、
もう以前の私とは本質が違うかもしれません。
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純粋さは、2種類ある。
生まれたばかりの
『捉われがない純粋さ』と
生ききって
『捉われがなくなった純粋さ』
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《解説》
生まれたばかりの赤ちゃんは、
まだ何も知りません。
良い・悪いも、
正しい・間違いも、
得・損も。
だから、
“捉われがない純粋さ”を
自然に持っています。
一方で、
人生をたくさん生きた人は、
すべてを知った上で
手放しが進んでいます。
ジャッジすることや
比べること、
執着することも、
もう十分に経験したから。
すると、そこに残るのは
“捉われがなくなった純粋さ”
なんです。
同じように見える「0」でも、
何も始まっていない0 と
すべてを通過した0 は、
本質がまったく違います。
何かを足さなくても、
もう大丈夫だと知っている状態とも
言えるでしょう。
このように、
「ない」と「なくなった」は、
表面的には同じように見えても、
本質はまったく違うんです。
私自身は、人生の前半で
随分とたくさんの思い込みを
増やしてきたと思います。
おかげで、気付いたときには
随分と荷が重くなっていて(苦笑)、
足取りも重いものになっていたんです。
そこから後半に入り、
数々の思い込みを手放していって
随分と荷が軽くなった現在は…
6歳の私くらいまでに
捉われが少なくなったように思います。
体は軽くありませんが(笑)、
心はとっても軽いです♪
☆☆☆
もし、自分のことを
「純粋じゃなくなった」と思っても、
それは人生の前半にいるだけ。
逆に、自分のことを
「子ども返りしてる」と思っても、
それは人生の後半にいるだけです。
登山の通過点に
いいも悪いもないように、
人生の通過点にも
いいも悪いもないですからね〜
ちゃんと生きているからこそ通る
現在地点の自分をOKして、
人生の景色を堪能すればいいんです。
だって、
上りで見える景色と
下りで見える景色には、
それぞれ違う良さがあるのだから。
理梨映(オリエ)
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photo by ORIE
『水前寺成趣園』熊本県熊本市
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